「人工ひじ関節手術」

2000年6月〜7月 

1 ヒジが腫れてきた

リウマチによる炎症で、左右のひじ関節の機能が衰えてきた。シャンプーをするとき、頭のうしろが洗えない。趣味の油絵をするのがつらい。
電話の受話器を耳まで持って来れない。車のハンドルを回すのが苦痛、、
ついに自分の小さなバッグを持つのも辛くなった。 やばい!!



2 整形外科へ

建って2年、ピカピカの公立M病院は、我が家からゆうに1時間はかかる田園地帯の中。
手術を決意して、紹介状を持って整形外科をおとずれた。左手はとりあえず滑膜除去でいいが、右手は関節の骨がギザギザになっていて、形成手術が必要ということだった。
人工関節という手段もあると聞いて、即そちらを希望。両手首が固定していて、肘関節の動きがたよりの私。これ以上ひじのトラブルはさけたい、という切なる願いが強かった。
人口肘関節は、膝関節に比べて症例は少ないが、術後の成績は良い、という先生の言葉を信用した。
(私の先生の場合、膝の手術は数百例だが、肘は4例ということだ)


3 いよいよ入院

6月19日。待つこと2ヶ月、やっと入院の日がやってきた。受付で入院手続きを終えると、病棟の看護婦が迎えに来た。大きなカートで、入院に必要なもろもろを全部運ぶことができる。
案内された病室は、術後の回復期を過ごすための個室だった。一応トイレもついていて広いが、いろいろな医療機器が置いてあって、殺伐としたところだ。ここで検査のための3日と、術後の5日間を過ごすことになった。

看護婦から入院生活のあれこれの説明がある。入院なれしていない私にとって興味しんしん。
食事は基本的には食堂でとる。7:30 12:00 6:00
お箸と湯のみは各自で持参する。ガラス製の冷蔵庫があって、
自分の名前を明記して利用する。
電子レンジとトースター、自動給茶機があって、お湯も出る。
最上階にコインランドリーと展望風呂がある。各階にシャワー設備があって自由に使える。
売店の営業時間、テレビのプリペイドカードの自動販売機、等々。
売店には、入院に必要なあらゆるものが揃っている。これなら、急な入院でも不自由しない。


4 検査と手術

検査のための3日の間、どんな検査を受けたのか、覚えているものをあげると、血液、凝固検査、血液ガス 尿検査
肺活量 心電図 検温 血圧 握力 レントゲン 抗生物質少量調査 口の中をのぞいて歯を調べる。入れ歯等、全身麻酔の人工呼吸のための歯の検査。
夫と一緒に主治医から手術とその後の一般的な経過のの説明。X線写真と、人工関節の見本を使っての丁寧な説明がある。そして麻酔の説明。術前のリハビリを受ける。筋を伸ばしておくとその後が楽だということだった。


6月22日 手術当日

朝食抜き、水抜き、そして排便を済まし、手術衣に着替えて待つ。ストレッチャーと一緒に、主治医、麻酔医、看護婦が入ってくる。自力でストレッチャーに移り、先生から二言三言。までは覚えているが、あとは闇の中。ふたたび意識が戻った時は、もとのベッドの上にいた。麻酔が切れて、手術あとに痛みがある。「痛い、痛い」と騒いだら、痛み止めの注射があり、間もなくラクになった。


5 人工ひじ関節ゲット !!

改めて気が付けば両手は包帯グルグル巻き。特に太巻きの右手ははひもで吊っている。身体には何やらいろいろコードが付けられている。
そういえば私の父の臨終間際の様子とそっくり。
ちょっとオーバーではないか、と思ったが、一つ一つの装置や計器には、なるほどそれなりの理由がある。
マニュアルどおりにするのが病院の義務なら、患者も付き合わねばならないのであろう。いたって物分りの良い患者である。見かけは大変そうだが、本人にとっては他人任せの気楽な情況。
手術の予定時間は3時間だったが、1時間オーバーした。骨に穴をあけている時骨折して、補強のためにネジを入れた、ということだった。
プレドニンの影響でしょう、と言われたが、服用を始めて1年ちょっとなのに・・・。

いずれにしても、人口関節の使用には全く影響ない、と言われて安心する。

6 手術後の経過

スパゲティ症候群状態は長くはなく、その日の内に順番に外されていく。
翌朝はトイレに立つことができるようになった。
指は両手とも、動かすことはできるが、なにせ、右手にはL字形の添木がついている。
口元まで運べる左手を使って朝食をとる。食べた気はしないが、珍しさも手伝ってそれなりに満足。
術後5日間は無菌室で過ごす、と聞いていたので、用意した5日分の和式寝巻き、T字帯、バスタオルは一応消毒してもらってあった。
が、肘関節の場合は出血量も少ないのでその必要はない、ということが手術前日にわかった。入院準備は一部空振りであった。

術後の痛みは2、3日で遠のき、腕の何とも言えぬ重みも日ごとに軽くなった。特に発熱で困る事もなかったし、考えていたよりずっと楽な経過だった。
手術に対して抱いていた漠然とした不安は、徐々に解けていった。
主治医への信頼感や、看護婦さんたちのおかげも大きいことはいうまでもない。


7 一般病室へ

朝夕のリンゲル(抗生物質)と血液検査がある。両手が包帯巻きだから、足の静脈にブスリとやられる。
看護婦が注射器を持って足元に立つと、「あ、吸血鬼がやってきた !!」と思うことで、ウップンを払う・・・看護婦さん、ゴメンネ。
レントゲンをとる。人工関節と、骨折の部位に埋められたボルトがくっきり。私にはわからないが、ここはO先生会心の仕事らしい。X線写真の説明をする先生の顔をみて、そんなことを考える。

6月26日、左手の包帯が外された。傷口に貼ったバンソウコウのみになって軽くなる。
右手はまだ添え木が外せない。ふつう、2週間かかるということだが、私の場合骨折個所があるので、3週間。包帯の制限を受けるところ以外自由に動く。立ち歩く時は、三角巾を首から吊る。
左手のリハビリ開始。私の担当は全盲のベテランの先生で、奥の深いリハビリである。「魔法の手」と呼んで、ファンも多いみたい。この病院は整形の先生とリハビリの連絡がとても良い。総合回診のときには、リハビリルームの主任も同行する。当たり前のことかも知れないが、そうでない病院もある。

6月27日一般病室へ 移動。個室希望者以外は4 人部屋。かなりゆったりしたスペース。
カーテンをしめれば、それぞれ独立した空間になる。
消灯は9時だが、テレビを見たり、本を読んだりは可能。

毎日、掃除とごみの回収があり、シーツ交換は週1回。患者だから何もしなくて良いのだが、何やら後ろめたい気がするのは、長年しみついた主婦稼業のせい ?


8 ひまな時間

患部の安静とリハビリ以外の時間はフリータイム。テレビばかり見ているわけにも行かず、寝てばかりいると夜寝られなくなる。そんな時のために、イギリスで買ってきた水彩画法の本と電子辞書を持ちこんで翻訳作業をしたが、これは結構はかどった。独断と思いこみの仕事だから、公開できるようなものではないが、自分の趣味のためには役立った。今度は水彩画を勉強しにイギリスに行きたい、なんて途方もない夢も湧いてくる。やっぱり病気に負けてはいられない。
患者のほとんどが地元の人で、近所同士だったり、親戚だったりして、病室の雰囲気は、都会とはかなり違ってアットホームだ。私ひとり遠来の患者だし、言葉も関東風名古屋弁である。ラッキーなことに、たまたま共通の知人がいたおかげで、やわらかな伊勢弁の世界へ無理なくとけ込めた。
親しく話をする人も出来て、病院のフリータイムは思いがけず楽しい時間だった。

手術1週間後くらいから、病院の周りの散歩をはじめた。そこでも散歩友達ができた。当たり前のことだが、病院には団体客はいない。みな個人営業だから、話かければけっこう気楽な会話ができる。良い経験だった。

9 病室変更

婦長さんが枕元に立ったとき、それは病室変更である。と誰かがいっていた。私にもその時がきて、同世代ばかりの気楽な病友と別れることになった。ウワサ通り、婦長が枕元に立ってから、2〜3分の間の出来事である。

運悪く、何かとうわさにのぼっていた茶パツの女の子と同室になった。茶パツだろうとハゲだろうと、いっこうに気にしない方だが、この子はとんてもない、ルール破りの無法者だった。ベッドの中で、ボーイフレンドと一緒に寝ている。厚化粧をする。病院の食事が気に入らないといって、スナック・即席ラーメンを食べまくる。あたりかまわず音楽を鳴らす。禁止されている携帯電話で夜中にしゃべっている。同室の「ババアたち」の悪口、看護婦はブスで、ルールが厳しくて刑務所みたい・・・ETC。
だいたい、怪我の理由が、厚底靴で車を運転して事故を起こした、というのだから、何をかいわんや、である。ほとほと、みんなが呆れ果てたころ、彼女に予定より早い退院許可が出た。どうみても自主退院勧告だったが、山のように持ちこんだガラクタとともに、当人は喜んで退院して行った。
「私は若いから、治りも早いの」
ソウダロウ、ソウダロウ、
言っとくけど、年取るのもあっという間だゼ。


10 週末の病院

病院のウィークエンド、特に整形外科のウィークエンドはけっこう寂しい。
見舞い客が殺到して応対に忙しい人もいるが、私はお忍びの入院で、しかも遠いから、夫以外の客もない。親戚には、スペインの友達の別荘へ行ってることになっていたらしい。あんまり上等な口実とは思えないが。
先生たちの回診はないし、看護婦の姿もまばら。患部以外はほとんど健康な人たちだから、一時帰宅する人も多い。

私も1日、日帰り外出許可をもらって帰宅した。夏の盛りだから、半月も見ないうちに庭や畑の植物がうっそうと茂っていた。それは見て見ぬふりで、ゆっくりくつろぐ。
我が家名物の自家温泉にゆったりつかり、ビールを飲んで昼寝した。たまっているメールをチェックして手紙を見て・・・・それだけで、すっかりリフレッシュし、安心して病院に戻った。

11 退 院

7月22日 退院することになった。退院の時期を決めるのは、医者か患者か。それはケースバイケース。病室が混んでいるときは、婦長さんから打診があるし、茶パツの子のように上手に追い出される場合もある。
独居老人で、迎えの人の都合で居残っているおばあさんも居れば、都合で車イスの取れぬうちにそそくさと退院してしまう人も居た。

私の場合は入院する時いちおう1ヶ月と聞いていたので、手術からキッカリ1ヶ月と自分で決めた。大安にこだわる人も多いようで、看護婦さんは暦にも詳しいが、ジコチュウの暦しかない私にとって、退院できる日は何時だって大安である。術後ののハビリも順調で、ちょうど頃合いだった、と言える。

病院の支払いは1ヶ月毎で、退院する時は、その月の分を払う。国民健康保険でも、大額医療費はある程度もどってくるし、個人で掛けている入院保険もあるから、金銭面の負担はほとんど無い。
ある程度の出費を考えていた私には呆気ないような話だった。
健康保険が赤字なのは当たり前のような気がするが、きっと違う形でこのツケを払う羽目になるのだろう、と思う。


12 人工肘その後

手術の日から6週間たった。重く痛かった症状は手術で消えた。関節を入れた右手はまだ少しむくむ日もあって、切開した縫い目がつることもある。疲れると、何となく関節が重い気がすることもある。たぶん、日がたてば治まる症状だと思う。

それ以外、関節の機能は期待以上にもどっている。シャンプーの時、後頭部に手が届く、あきらめていたイヤリングもつけられる。腕の力が今ひとつなのは、今まで使ってなかったからで、徐々に筋肉がつく、と再診の時に言われた。
実は手術に期待していたもう一つのことがあった。炎症をおこしている部分の切除によって、リウマチ自体がおとなしくなる、のではないかと思っていた。
しかし、これは逆目に出て、その後の体調は芳しくない。肘以外にも炎症が現われてしまってからの手術だったから、タイミングが悪かったのかも知れない。
今はリウマチの治療薬を変えて様子をみている。
1、2ヶ月たって効き目が現われたらラッキーだけど、これは医者にもわからない。少なくとも思いきって手術をしたおかげでヒジのトラブルか゛当分無いのはありがたい。手術をしてくださった先生、看護婦さん、リハビリの先生、病院生活を支えてくれた人、そして一人で留守をし、たびたび見舞にきてくれた夫に感謝している。

13 3ヶ月検診

手術から13週間目。病院の検査の結果は異常なしだった。手術中に骨折した部分もうまくくっついている、ということである。3か月たった人工関節の使い心地は、一口に言って「快適」そのもの。
使いこむにつれて違和感を意識することもなくなり、人工であることをすっかり忘れている。手術後の経過が良いと、つい無理をしがちとなる。

天然の関節と違って、これはやっぱりマガイモノ。転んで強く打てばヒビが入ったりゆるんだりする。気をつけよう。
そうでなくても、人工関節は1年で0.4ミリ減っていくそうだ。10年も15年も使うにはそれなりの知恵がいる。人工を入れた右ひじに比べ、同時に滑膜除去した左ひじはいささか問題が残る。手術のおかげで炎症はすっかり消えたし機能もほとんど回復してはいるが、ときどき痛みがある。左の肘の痛みのおかげで、やっと右肘の人工関節を思い出す私は、そうとう脳天気だと自分でも思う。

2ヶ月前から服用をはじめたアザルフィジンが効きはじめたのか、体調は入院前後にくらべれば良好で、痛み止めのボルタレン1日25mg×2回を1回に減らした。どういうわけか、アザルフィジンを2錠に増やしたとたん、めまいがしたり、頭がぼんやりする、という自覚症状が出た。主治医と相談して1錠に減らすことにした。効き目が変わらないと良いんだけど。おわり